お悔やみを英語でどう言うかを考えるよりも、サポートしたいという気持ちが大事。

20110310 Meijimura 7

私がインドで生活していた2013年のとある日、私のインド人の親友であるDの乳母が亡くなりました。Dの家庭はインドの中でもかなり裕福です。それゆえに両親は多忙で不在がち、彼女が小さいころはこの乳母が彼女の母親だったようです。母親よりも乳母との方が距離が近かったのではないかというくらい乳母を深く慕っていたD。私もお会いしたことがありましたが、とても優しいおばあさんでした。Dはとても悲しみ、落胆していました。

 

私がこの記事を書いているのは、私と同じような状況になった人に、英語がうまく話せないという理由で知人や友人のサポートをあきらめてほしくないからです。私も当時はさほど英語でのコミュニケーションに自信がありませんでした。ましてやお悔やみの言葉を英語で言ったことなどありません。正直に言うと、戸惑いました。彼女になんて声をかけていいか分からなかったのです。でもそんなことに戸惑うよりも、サポートしたいという気持ちが大切だと気づかされました。

 

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事の経緯

私がDの乳母が亡くなったことを知ったのは、仕事中にきたDからのWhatsapp(LINEのようなアプリ)での次のようなメッセージでした。 

My aunt passed away. The mass will start at noon tomorrow at the charch.

おばが亡くなったの。明日の12時から教会でmass(葬儀ミサ)があるから来れたら来て。

 

仕事中だった私は、なんて返信したらいいか分からず、戸惑い、日本人の同僚に相談したのを覚えています。またこの時点で彼女は“おば”という単語を使っており、私はそれが乳母だと気づきませんでした。そこで当たり障りの無い、以下のような返信をしました。

 

I'm so sorry D, tell me if you need anything. I will be there tomorrow.

D、お気の毒に・・・。何か必要だったら何でも言って!明日行きます。

 

そして翌日、クリスチャンだった乳母のため葬儀ミサが開かれる教会を訪ねました。ここで服装についても迷ったのですが、とりあえず黒っぽいチュニックと黒いスパッツで行きました。教会についてみるとみなさんそれぞれ黒っぽい服だったりまったくの普段着だったり色々でした。インドの場合は服装にはそれほど拘らない場合が多いようです。

 

教会で会ったDは笑顔を見せてくれましたが、やはりとても落ち込んでいました。そんな彼女の涙を見てやはり言葉に詰まってしまう私。私が言えたのは、

 

It's ok.

大丈夫だよ。

You can cry.

泣いていいんだよ。

I'm with you.

一緒にいるからね。

 

こんな簡単な言葉ばかりでした。教会での葬儀ミサというもの自体始めて訪れた私は、何をしていいかも分からず、でもDが心配でただ側にいて手を握っていました。

そんな自分がとても歯がゆかったです。もっとたくさんの言葉をかけてあげたい、励ましてあげたい、笑わせてあげたい。そう思いましたが、やはり私の英語のボキャブラリーでは限界がありました。そんなもどかしい気持ちのまま一日を終え、部屋に帰ったときにDからもらったメッセージはこんなものでした。

 

Thank you for being there with me. I could be strong because of you.

一緒にいてくれてありがとう。あなたのおかげで強くいれた。

 

何もできなかった自分に歯がゆい思いをしつつも、少しでも支えになることができて本当によかったと思います。英語ができるできないよりも、気持ちが大事だと気づきました。同じような境遇になることがあったら、みなさんも思うままに行動してみてくださいね。

 

ただ、もちろん、流暢にしゃべれるにこしたことはありません。それだけでできることがぐっと増えますし、今回のような場合でも、精神面だけでなく物理的な面でもきっとサポートできたんだと思います。なので、私は英語の勉強を続けていこうと思います。

 

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